原告意見陳述「遺骨検査でアイヌを証明できるのか?」

2018年4月10日 清水裕二

 「北海道150年」云々とざわめく今日、アイヌにとって150年のこの期間は「負の歴史時代・負の歴史遺産満席の時代」と言わなければならない。そして、私は過日「サーミの血」という映画(1930年ノルウェー)を鑑賞しました。そして、映像の冒頭より私は硬直しつつ〝観ていました〟。なぜなら私の1950年代に体験した事実と同様な場面の映像であったからです。具体的にはコンパス状の測定器具によって頭蓋骨全体を縦横無尽に測定する生体測定・身体測定及び身体表面の観察調査さらに採血される映像は、私の全身に再びよみかえる映像でありました。また、この映像では、被写体=主人公は(女性)でしたが、はだかにされて写真記録まで撮られていました。このように国際的にも人類研究が盛んであった事を、強く印象づける映画でした。

 

 さて、そもそも〈人類研究とは何をするのでしょうか〉 そして〈アイヌの生きて来ている事を明らかにする〉とは何を意味するのでしょうか。仮にも〈人類研究実施〉で人類の進化・発展が判明するとして、なぜ〝アイヌだけを対象〟とするのか。極めて大きな疑問です。私はある機会を通じて、研究者・人類学者にこの事を尋ねた事があります。彼は、口をつむんで応えてくれませんでした。つまり彼には〝アイヌの存在は研究対象〟でしかなかったのです。

 

 私は百歩譲って人類研究を認めるとして、世界中の民族を対等に対象とすべきであると考えます。例えば目本では和人・アイヌ・琉球人・他の関係する人々を均一に対象とする人類研究なら、理解できるかもわかりません。しかし、アイヌだけを特化しての研究は断じて許せません。そして、今日の事案は、明治以降もコタンのアイヌ墓地として使用していた墓地から発掘した人骨の調査研究を行い、しかも遺族など当事者の許可もなくDNA検査の人類研究を実施されております。またこの検査には、北海道アイヌ協会が札幌医科大学との問で検査同意書の協定をしております。研究者はこの同意書を根拠に検査は行われたと考えられます。

 

 この遺骨に対する権限・権利もない北海道アイヌ協会が係わっている事は、極めて責任は重大であります。従って検査を行った研究者・札幌医科大学そして北海道アイヌ協会は、直ちに遺骨の返還する事を強く求めます。さらに遺族に対し、そして総てのアイヌにまた道民や国民に真摯なる甜罪すべき事を申し添えながら、裁判への意見を申しあげます。以上です。